1950年、最初のF1グランプリは、イギリスのシルバーストン・サーキットで開催された。
それ以前にも“グランプリ”は行なわれているのだが、“世界選手権”を念頭に現在の形になったのは1950年。
その歴史は、マシンという“道具”に様々な思い出と共に積み込まれている。

【第5回】“クサビ型”へ

2008年11月14日(金)
イラスト:古岡修一

2009年からスリック・タイヤが“復活”するが、1998年に“タイヤに4本の溝を入れなさい”という規則ができるまで、タイヤの表面には溝がなかった。溝がないと滑ると思いがちだが、溝の分だけ路面に接地する面積が減ってグリップ力は落ちる。だが、溝には別の重要な役目があった。

1960年代までのF1タイヤタイヤに溝が切られていたのは、放熱のため。路面に叩かれて発する熱で、タイヤが壊れないように、言わば仕方なしに溝があった。その溝がなくなったのが1970年だった。

溝付きのグルーブド・タイヤから溝ナシのスリック・タイヤになる1973年までの過渡期には、トレッド面に申し訳け程度の小さな切り込みがパラパラと刻まれ、目尻にできるシワのような形をしていることから、“カラスの足跡”などと呼ばれていた。やがてゴムの配合(コンパウンド)の研究が進み、溝がなくても放熱に問題がなくなった。1973年には完全なスリック・タイヤに移行、その後25年間、F1のタイヤはスリックが常識だった。

imageサイド・ラジエターの登場も1970年。それまでのF1は、ラジエターがフロントに搭載されるのが常識だった。冷却効率的にノーズ部分が最も効率がよかったためだが、空力的考察を進めた結果、空気抵抗を減らすために、ラジエターをマシンのノーズ部分から横っ腹部分に移動することで、スピードアップさせることに成功した。

そもそも、水を循環させるラジエターはそれなの重量がある。重量物がマシンの重心近くにあった方がいいという速いマシンの必須条件もサイド・ラジエターのキモだったが、1960年代後半からF1デザイナーが最も注意を払うべき重要なテーマとなった空力を進化させた効果の方が、はるかに大きかった。

サイド・ラジエターを最初にF1にで採用したのはロータス。ラジエターがなくなったノーズは低く薄くなり、横から見るとクサビ型をした“ウェッジ・シェイプ”と呼ばれる形がF1の王道になっていく。クサビ型ボディは、ボディ上面を通過する空気の流れでダウンフォースを発生し、ウェッジ・シェイプのロータス72は、数々の勝利を記録した。

ロータス72で最初にワールドチャンピオンになったのはオーストリア人のヨッヘン・リント。しかし、彼は、1970年のイタリアGPでそのロータス72のブレーキ破損によるクラッシュで他界。彼の得点を抜くドライバーが出なかったことで、死後にチャンピオンになった唯一のドライバーとなった。

1970年のリントのポイントは5回の優勝だけという、“クラッシュか優勝か”のリント・スタイルを物語る象徴的なものだった。

リントは、2008年まで破られない記録を持っていた。それは、F1の直下カテゴリーのチャピオンで、F1のチャンピオンになった唯一のドライバーだったこと。F2チャンピオンの後にF1チャンピオンになったリント以後、2008年に初めてその記録を書き換えたのが、GP2チャンピオンの後にF1ワールドチャンピオンとなったルイス・ハミルトンだ。

image1970年のF1タイヤは、グッドイヤーを中心に供給が行なわれた。1965年にF1にデビューしたグッドイヤーは、1998年までF1活動を続け、その34年間に368勝を記録しているが、その記念すべき1勝目は、1965年のメキシコGPで日本のホンダが飾ったものだった。また、最後のレースとなった1998年最終戦は、鈴鹿サーキットで行なわれた日本GPだった。
(MYS/Yamaguchi Masami)